この歳になるとこのままの人生でやれることが見えてくる。自分のこれまでの延長線上として自分が未来で成し遂げられうることがわかってくるのだ。しかし、このまま辿る人生はそこそこ面白いかもしれないが、まだまだ物足りない。だから、まだまだやっていないことで、やりたいことを片っ端からやってみるみよう。本業とは関係ないことを次々と挑戦してみよう。そう思いました。ブログもその一環です。このブログがどう変化していくのかが自分の成長につながっていると思っています。ちなみに40代半ばの男性です。
僕は広い意味で物書きをやっている。いわゆる大学の先生という立場でもある。そこそこの収入はあるので「将来安泰」のはずだ。しかし、それでいいのかという不安もある。僕は、いわゆる学術書とか論文とかいうやつを書く立場にある。専門は政治や社会に関するものだ(ここまでは明かすことにしよう)。周りの研究者よりも執筆量は多いものの、人生研究者として邁進してきたからこそ限界が見えてきた。学術的な文章で伝えられることの限度がある。そして、自分の可能性が研究者という職業や価値観によってカタにはめられていくような気がする。ジユウガウバワレテイル…
一度、職業に縛られず自分のやりたいようにやってみよう。そう思った。だからこそ匿名で記す。ちなみに40にして迷いまくりな自分を後押ししてくれたのは、ジェームス・スコット(James C. Scott)という政治学者の生き方だった。
この人の生き方がかっこいいのだ。
スコットさんは、政治学者としてバンバン研究書を執筆する一方で自ら農業をやっている。彼は、東南アジアの研究者としてキャリアをスタートした後、国家についての著作を多く記した。『反穀物の人類史——国家誕生のディープヒストリー』や『実践 日々のアナキズム——世界に抗う土着の秩序の作り方』など日本語に訳されている著作も多い。その一方、彼は46エーカーの土地で羊や鶏を育て、農業を営んでいるのだ。46エーカーを平方メートルに換算すれば約18万平方メートル。わかりやすく言えば、430メートル×430メートルの土地で農業をやっているのだ。けっこう広い。
スコットの生き方は、「地」に足をつけた上で「知」巨人としての名声を確立しているといってもいいだろう。英語の記事になるが、彼の生活の様子がニューヨークタイムスで記事になっている。
そこでのスコットさんの姿は単なる農場のおっちゃんだ。
僕がやりたいのは農業だけではないが、このスコットさんの生き方は少し参考になった。
僕は、コロナ禍を機にプランターを使って野菜を育てだした。それがマンション暮らしの僕の限界だ。そのプランター栽培から見えてきたのは野菜というものが、すごく人工的な植物であることだ。
トマトやナスなど実をつける植物は、実をなすとその重さで折れてしまう。つまり、自分で自分の重さを支えきれないのだ。こうした経験から見えてきたのは野菜も人間の文明の産物であることだ。このことを知ったことで人間の生業を理解することは人間の暮らし、社会、その他、政治・経済まで理解することにつながるのではないかということである。
もちろん、僕が本業以外でやりたいことは農業だけではない。いっぱいある。そのことはおいおい記したい。少なくとも、本業以外でいろいろやりたいことが出てきた。そのスタート地点がスコットさんの生き方を知ったこと、そして、自分で農業を始めたことだった。
そこから自分の考えはぐぐぐと広がっていく。それこそ思考のビッグバンなのだが、どのように考え方や価値観、やりたいことが変わってきたのかは別の機会にしたためることにしたい。
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