バクソ記念日

バクソ、ばくそ、馬糞、Bakso。日本語にするとあんまり響きのよくない名前である。私はこの20年間、このバクソが頭の中にひっかかるようにあった。そのストーリーは大学生の頃までさかのぼる。

当時はバックパッカー・ブームでたくさんの日本人が海外に貧乏旅行に出かけていた。もちろん、「貧乏」というのは日本人の感覚であり、現地では貧乏旅行者であってもそこそこのお金を使っていることになる。僕も大学の休みになればどこかに出かけていた。安食堂ではあるものの食堂で食事をとり、観光地にいったり、観光地周辺の人々の生活を見たりする旅行を繰り返していた。観光というのはいい「よりしろ」になる。観光地に行きたいというよりは、その国の生活を見たいのだ。けれども、目的地がないと、どこにいけばいいのか分からないし、どこに泊まればいいのかもわからない。その一方、観光地にも庶民の生活はあり、ありがたいことに英語をしゃべる人も少なくない。なので手軽に現地の人々の生活が知れるという利点がある。

大学4年生のときだろうか。インドネシアを旅行した。インドネシアはほぼイスラームの国なのでお酒を飲むのが大変だ。今回は「うーん、ビールが飲めないのか、がまんするぞ」と思っていったのだが、当時はどうだったのか覚えていない。よくよく調べてみると、かつてはお酒がコンビニでも売られていたそうだ。

https://www.indonesiasoken.com/news/regulation-of-alcohol

当時の私もきっともうお酒が大好きで、飲んでいたのだと思う。当時はカメラを持ち歩くなんてださい、全部思い出に留めておこうと思っていた(←これは大後悔している)。なので記録もあまり残っていないし、記憶も残っていない。

ただし、バクソを食べ損ねた。そんな記憶は心の中に深く残っていた。

バクソとはインドネシアの屋台でおなじみの食べ物である。「肉のつみれ」と表現すれば伝わるだろう。一般的には牛肉を固めたものであるものの、ミートボールとは違い、日本のつみれのような蒲鉾のような食感だという。

https://note.com/maegaichi/n/n5d6858cda722

このバクソ。大学生の時に食べ損ね。さらには一昨年に仕事でバリに行った時にも食べ損ねた。もうだいぶまえのことなので大学生の頃にどういう経緯でバクソを食べ損ねたのかは覚えていない。食べたかったのに食べられなかったという記憶した金井。

だけれども、仕事でバリに行ったときのことは2年前のことなので記憶はある。仕事の合間を縫って街歩きをしていた時のことだった。インドネシアの都市部は車が多く信号もあまりない。なので道を横切らなければならない。それが大変で幹線道路の前で渡ろうと歩道で車の隙間を見計らっていた。

バクソの屋台のおっちゃんに話しかけられたのだ。

「君、日本人」と。

とても流暢な日本語で話しかけられたのだ。聞いてみると昔はサーファーだったらしい。日本人の女の子をよくナンパしたよいっている。「俺は昔、かっこよかったんだよ」という。

「けど、いまははげちゃった」

と頭を触りながら、はにかみながら彼は語った。

「で、どこいくの?」

「向こう岸のデパートに行きたいんですよ。お土産買いたくって。」

「ここ車通り多いよ。俺に任せて」

といって彼はタイミングを見はかり、「今渡って」といってくれた。さらには来たくるまにゆっくり走るように手振りで示してくれた。話しかけられた時には怪しいと思ったけれども意外といい人じゃん。

そうだ、昔、バクソが食べたかったんだ。そう思ったのは道を渡り切った後のことだった。その時も結局、バクソを食べずにインドネシアから出国したのだった。

今回、仕事の都合でインドネシアには3日しかいられなかった。けれども、バクソはどうしても食べたいと思い、同僚に「今晩は屋台行こうよ」とねだってみんなで連れ立っていった。屋台に日本人数人で座り、バクソが出てくるのを待つ。そして目の前にバクソがやってきた。

20年前から食べたいと思っていたバクソは…

単なるつみれだった…。

後日、屋台にはいかなかったが、インドネシアに一緒に来たセンパイに「今回は滞在時間が短いから物足りないけど、バクソ食べれたからよかったことにします」といったら、

「そんなのただのつみれじゃん」

といわれた。けれども、その味を確かめようと思ってから20年たったのだ。今日は私のバクソ記念日だ。


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